ロンドンで経験したドラマのような不思議なできごと
この前の夏休みにロンドンに旅行した時のことです。
私と小学生の娘は早く目が覚めたので、朝食前に散歩に出かけました。私たちが泊まっていたのはキングズ・クロス駅のそばのホテルでした。その辺りは一昔前はドラッグ中毒者がよくたむろしていたそうですが、今ではお手ごろ価格のホテルが立ち並び旅行者向きの地域となっています。
ロンドンの夏は快適なほど涼しく、私たちが散歩した朝は冷え込みが厳しくてセーターを着ても寒く感じました。ロンドンに数日間滞在していましたが、この日が一番気温が低かったように思います。
静かな住宅地を通り過ぎて私たちはキングズ・クロス駅の前にやってきました。朝の7時前だというのに歩行者の姿はほとんどありませんでした。ふと気づくと黒いダウンジャケットを着た大学生くらいの女性が立っていました。彼女は英語で
「すみません。英語は話せますか?」
と遠慮がちに聞いてきました。その時の私は長いスカートをはいて肩にはスカーフを広げていたので、地元の人には見えなかったはずです。私はトラブルには巻き込まれるのが怖かったので、何かあれば言葉が分からないフリをして逃げられるように
「少しだけなら」
と返事しました。すると彼女は泣くのをこらえて、ゆっくりと英語で話し始めました。
彼女はボーイフレンドとロンドンに遊びに来たけれど、彼とはケンカ別れしたそうです。そして彼は彼女を置いて行ってしまい、彼女はお金を持っていないので実家に帰るのにも電車の運賃が足りずに困っているとのことでした。実家に帰るには6ポンド必要なのに2ポンドしか持っていないと、今の全財産を見せてくれました。つまり4ポンドほどのお金をめぐんでほしいというわけなのです。
彼女は携帯電話を持っていたので、事情を話して親に迎えに来てもらえばいいと彼女に言おうかとも思いましたし、イギリスでもこのような場合は警察に行けば助けてもらえるのではと伝えることもできました。けれどもそれはあまりにも残酷に思えたのです。
彼女がお金を手に入れるためにウソをついている可能性もありますし、仮に彼女の話が真実だったとしても見知らぬ私が助けなければいけない理由もありません。でもその時の私はかばん1つ持たずに散歩していましたから、お金を持っているようには見えない私に声をかけるほど彼女は困っていたのだと思います。
私のスカートの内側には外から見ても分からないポケットがあり、私はそこに大きな紙幣を入れていました。彼女にお金を渡すべきか悩む時間がほしかったので、時間かせぎのために彼女に夕べはどこで過ごしたのかと聞いてみると、彼女は「公園」と答えました。
その朝は手の指先が冷たくなるほど寒かったので、公園で一晩を過ごしたのが本当だったならば彼女はさぞかしつらい夜を明かしたことでしょう。そう考えると私には彼女を突き放すような非道なことはできませんでした。そして彼女に紙幣を一枚わたしました。それは4ポンドを求めていた彼女には十分すぎる金額でした。
彼女は私にハグをして去っていきました。
彼女がウソをついたとは思いませんが、それでも私は親切すぎたのか、それともあれでよかったのでしょうか。今でも思い返しては悩んでいます。